賀来ゆうじ
地獄楽イラスト
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TVアニメ『地獄楽』の放送を記念して、原作者・賀来ゆうじ先生と担当編集・榊原英明さんにお話を伺った。
賀来ゆうじ先生の漫画家としての原点に迫る幼少期・学生時代のお話をはじめ、『地獄楽』誕生秘話や連載中のエピソードを含むロングインタビュー。
この模様は2回に分けて『地獄楽』公式サイトでお届けする。

―― 先生は子供の頃、どんなマンガで育ちましたか?

賀来 僕は4人きょうだいの3番目なのですが、自我が芽生えた頃にはすでに子供部屋に兄や姉が買った妖怪図鑑や怪獣図鑑が並んでいました。そこで、小さい頃から水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』を好んで読んでいた子供でした。ただ、この頃はマンガ作品というよりもキャラクターグッズとして認識していたのかもしれません。その意味で、「マンガ」として強く意識して読んだ最初の作品は板垣恵介先生の『グラップラー刃牙』でした。

―― それはいつ頃ですか?

賀来 小学校低学年ですね。ちょっと変わった出来事とともに記憶しています。当時、家の近くに駐車場がありまして、そこを横切って学校に行っていたのですが、おそらくそこの管理人をやっていたと思われるお兄さんが、僕が通るたびに手招きをして500円玉をくれたんです。

―― えっ。何か怖い目に遭われていませんよね?

賀来 いえ、まったく。それどころか彼とはちゃんと話をした記憶もありません(笑)。当時はバブルの終わり頃で、何だか無駄に豪華だった記憶があります。僕は何の疑いもなく500円をもらって、それを握りしめて本屋に向かいました。そんな形で、僕は駐車場の謎の羽振りの良いお兄さんをパトロンとして、当時すでに20巻ぐらいあった『グラップラー刃牙』を揃えることができたというわけです。4人きょうだいだったせいか、親も子供部屋の本棚をしっかり把握していなかったので、そのお金の出処も知る由もなかったようです。

―― そこでお菓子を買うとかではなく、マンガに向くところがすでに他の子供と一線を画しているような気がします。

賀来 言われてみれば、そうですね(笑)。当時、先生の目を盗んで買い食いをするのが流行っていたのですが、それには目もくれずにマンガを買う子供でしたね。最初に買ったのは第14巻。刃牙と花山薫が拳を向き合わせている横向きの表紙で「なんだこのすごい絵は!絵力が半端ない」と思ったことを今でも記憶しています。それを集め終えたら、次は岩明均先生の『寄生獣』でした。これは第5巻。顔が変形して大きな口を開けた寄生獣が表紙で、これも表紙買いでした。

―― 先ほどから挙がるタイトルが、どれも小学校低学年の児童には怖いと思われそうな絵柄ですが、平気でしたか?

賀来 それがですね、僕ってちょっと怖いものが格好良いと思っていた節があって。たとえば僕の中では、「リングの貞子=格好良い」なんです。これを藤本タツキ先生(代表作『チェンソーマン』ほか)や龍幸伸先生(代表作『ダンダダン』ほか)と飲んだときに話すと「それ、おかしいよ!」って言われるんですが(笑)。たぶん、小さい頃から水木しげる先生の作品に慣れ親しんでいたり、「ウルトラマン」も怪獣のほうが好きだったり、「仮面ライダー」であれば怪人のほうが好きという感性が刷り込まれていたのではないかなと。でも、怖がりだったんです。

―― (笑)。怖そうな絵柄を格好良いと思うのに?

賀来 これもはっきり覚えているのですが、小学校3年生のときに、よく行っていた本屋さんで伊藤潤二先生の『屋根裏の長い髪』というホラー短編(※ Netflix『マニアック』の1編で2023年にアニメ化)を立ち読みしたんですね。それは長い髪が自慢だった女性が失恋してしまい、部屋で首なし死体で見つかる。その首はどこにいったか分からないという話なのですが、それが小学校3年生までの人生で最大級に怖かったんです。で、そこで1回、恐怖メーターの針が振り切れてしまって、たぶん、今後の人生でこれ以上怖い思いすることないだろうと思ったんです(笑)。以降、怖いものに対して親近感を持つようになりました。それが世間一般からは少しズレていると頭では理解していますが、『地獄楽』の表紙を描くとき、担当編集から「ちょっと怖くありませんか?」と聞かれても、「どこが怖いんですか? 格好良いでしょう」と答えるほどです(笑)。

―― 賀来先生の原体験のひとつである三浦建太郎先生の『ベルセルク』も、怖い部類の作品ですね。この作品についてはあまりにも濃厚な対談が2019年に実施されました。

賀来 あれは僕も記事になることを意識せず、先輩との飲み会みたいな気分でお話させていただきました。後に記事を読んだ親戚に「『地獄楽』のプロモーションというよりも『ベルセルク』に対してのインタビューになっていたよ」と言われて(笑)。そのくらい気にせず喋れたし、『ベルセルク』という作品自体が僕の創作において、非常に強い影響を授けて下さった作品です。あの三浦先生との対談は今でもついこの間のことのように思い出されますね……。

―― ご自身でマンガを描き始めたのはいつ頃、どんなきっかけでしたか?

賀来 これを見て頑張ろうと思った、みたいな強烈な体験が実はなくて。幼稚園の頃に、『ウルトラマンG』を劇場で観てそれのマンガみたいなものを描いたら先生に褒めてもらって、「これで食べていけるかも」と思ったことは覚えています。

―― そんな頃から!

賀来 高校から大学に行くタイミングで、現実的にマンガで食べていくことがちょっと遠い夢のように感じていた期間があったくらいで、その時以外は描き続けていました。なので、起点になる場所が自分にはあるわけではないという感じですね。

―― その小さな頃からコマ割りもされていましたか?

賀来 はい。コマ割りといっても子供なので四角にすらなってない、丸みたいなのを描いて、どんどん描いて余白がたくさんできていたので、親からは「もっと隅々までちゃんと埋めなさい」と注意されたりしていました。

―― 大半の子はコマ割りといった絵に至らず写し絵や模写といった1枚絵で終わると思うのですが、先生はなぜそれができたのでしょう?

賀来 つまるところ、コマ割も模写のうちというか。小学校の頃に『ジョジョの奇妙な冒険』にハマって、花京院典明とハイエロファントグリーンを主人公にしたマンガを自由帳に描いていました。なので、当時のコマ割りは荒木飛呂彦先生特有のズバッとした大胆な構図に影響を受けていたりして(笑)。それで余白ができていたんだと思います。

―― 小学校から上がっていって、マンガ熱はいかがでしたか?

賀来 高校までは本当にフランクな感じで、デビューするとかしないとか意識せず、描いては友だちに見せるといったことは普通にしていましたね。

 

―― 周りのかたの反応はいかがでしたか?

賀来 楽しんでもらえていましたね。その反応で続きを描いたりして。これは今の自分に通ずる長所であり弱点でもあるのですが、ある程度、誰かを想定しないと描けないんです。そうでない、自分の内なるものを吐き出す作家さんももちろんいらっしゃいます。でも、僕がそういう形にならなかったのは、中高で友だちに見せては描き、喜んでもらっては描くを繰り返したからじゃないかなと、ちょっと思いますね。

―― 当時は鉛筆ですか?

賀来 その時々ですね。シャーペンで描いたり、ボールペンだったり。

―― つけペンはいつごろ使い始めましたか?

賀来 本当に意識して使い始めたのは、大学を卒業して仕事に就いて、その仕事を辞めてマンガ家になるタイミングですね。当時、デビュー自体はしていたのですが、基礎的な技術を学ぶために担当編集が紹介してくれた、池田晃久先生(代表作『ロザリオとバンパイア』、現在は紗池晃久の名義で、「少年ジャンプ+」にて『GHOST GIRL ゴーストガール』を連載中)の仕事場でアシスタントをさせてもらって、そこでペンの使い方や線の引き方を教えていただいた形です。

―― デジタルツールは使われますか?

賀来 はい。モノクロの原稿の線画はアナログなのですが、若いアシスタントさんですとアナログツールをお持ちでないことも珍しくないので、背景はデジタルが多いです。ベタ塗りやトーンといった仕上げもデジタルです。表紙などのカラー原稿は今でもアナログです。これも結局、突き詰めて言えば自分が楽しいかどうかなのですが、僕は0か10かの性格なので、デジタルを導入してアナログより楽だとなると、一気にデジタルに流れてしまいそうで。そこで効率を追い求めすぎると、楽しさも消えてしまうし、抜け落ちてしまうものもあると思うんです。それは創作にも良くない影響を及ぼすので、面倒くささもある種、楽しんで描けるかをバロメーターとしています。

―― カラー原稿でのインクや塗り方へのこだわりはいかがでしょうか。

賀来 『地獄楽』単行本の第1巻から5巻まではコピックとアクリル絵の具を併用していました。それ以前はコピックだけでした。アナログは定期的に画材を変えていく楽しさはありますね。『地獄楽 解体新書』(ファンブック、2021年刊)から現在にかけては、コピックと水彩絵の具を併用しています。水彩を使うからには紙も変えようとか、楽しければ画材も変えていきますし。このあたりは効率よりも楽しさに重点を置いています。

―― ご自身の中で絵柄の変遷をどのように捉えていますか?

賀来 中学高校の頃は割とリアル寄りな絵でした。といっても、井上雄彦先生のようなタイプのリアルではなく、田島昭宇先生の系統ですね。ちょっと冷たい感じの線だけど、等身はリアル、みたいな。僕は絵画学校に行ったり特別な美術の指導を受けたりした経験はありませんが、デッサンには当時とても興味があって人体解剖図の本とか参考書を読んだりしていました。これは今でもそうですね。

―― 『地獄楽』に限らず資料集めは多そうですね。

賀来 そうですね。客観的に見たら無駄と言われてしまうようなレベルです(笑)。新しい本が出たら、ついつい手にとってしまい、洋書でも辞書を引きながら読んだりしています。あとは良さそうなアナログ画材を見つけると、導入したら面白そうだなと思ってつい買ってしまって、結局は使わないなんてことも(笑)。

―― 続けて、先生のインプットについて伺いたいと思います。少年時代に触れた文化でマンガやそれに隣接するジャンル以外のもの、たとえば小説とか舞台といったもので、何か強く影響を受けたものはありますか?

賀来 大学の頃は人形劇のサークルをやっておりまして、それの関係でとは言いませんが、舞台演劇にも興味があります。忙しくて最近はあまり見ることができてはいないのですが、学生時代にはたくさん観に行きましたし、影響も受けました。小説については、小学校高学年頃から大学にかけてミステリ小説を読み漁りましたね。中学生くらいの頃はアガサ・クリスティやコナン・ドイルといった海外のクラシックから始まり、何でも読んでいました。そのミステリ小説に耽溺していたときの感覚は、今でも無意識的な形で自分の創作に影響を与えているなと思います。ミステリは構成がしっかりしているので、そういった部分に目が行きがちですね。

―― 他のカルチャーでいえば、先生は映画もお好きで、PRマンガも描かれていましたね。

賀来 そうそう。仕事と称して試写会でいち早く観られてラッキーでした(笑)。

―― 映画のジャンルや好みは創作に紐づくものでしょうか?

賀来 個人的な好みで言えば、僕が描くマンガとそこまで関係なく、どんなジャンルでも観ますね。とはいえ、ホラーは好きだったりするのですが(笑)。これも藤本先生たちとよく話すのですが、「作風に影響しないぐらいの距離感がいいよね」と。自分の内なるクリエイティビティに近い作品が好きなわけではなく、趣味として観ているみたいな感覚。もちろん、個々の演出で参考にしたり面白いと思ったアイディアは、マンガに換骨奪胎することはありますが。あくまで趣味として楽しんでいます。

 

―― ホラー映画なんて演出のアイディアの宝箱でしょうね。

賀来 そうですね。その意味で言うと、映画というのは総合芸術で大勢の人が集まって作るものですから、いろんなレイヤーがあると思うんです。それに対して、マンガは1人の妄想の力が読者の心に刺さる要因であったりするので、あまりに映画的なものをマンガに求めすぎても、よくないのではないかなと。もちろん、バランスよく採り入れられれば良いのですが。ただ、特に僕が描いている少年マンガという土壌においては、もう少し視野が狭いもののほうが良いんじゃないのかなという気持ちがあるので、その意味でも少し分けている感じですね。逆に、映画趣味全開の読み切りを描きたくなる瞬間はあります。どこに発表するでもないネームを連載中にもかかわらず描いたりして(笑)。

―― ぜひ発表していただきたいです。ちょっと毛色の違う質問ですが、印象的な旅の思い出だったり、異文化との接触で印象的だったことを教えて下さい。

賀来 最近は忙しくてなかなか行けないのですが、大学の頃は色んな所に行きましたね。海外旅行した誰もが感じると思うのですが、いろんな部分で日本と規模感が違うので、家に帰ってくると「自分の机ってこんなに小さかったっけ?」と思ったりします。そういう風に俯瞰というか、相対化して捉える価値観にとても影響を受けた気がします。今の自分の目の前にあるものはあくまで世界の一部で、見方を変えたら全然違って見えたり。別の視点から一旦考えてみようみたいな意識を、強烈に体感したのはイタリア旅行でした。北から南まで名勝を回る忙しい旅だったのですが、そのときの思い出は深く残っています。

―― 絵画や彫刻もたくさんご覧なりました?

賀来 はい。美術館をたくさん回ってくれるツアープログラムだったので、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』も運良く拝めましたし、ミケランジェロの『ダヴィデ像』も解説付きだったのでなおさら印象的でした。単に写実的に描き出すのではなく、何かしらの意味を投影して創作する。デザインそのものにコンセプトを埋め込むといったことは、ダヴィデ像や初期のグロテスク画(古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式)を見ると、昔からこういうことをやっていた人がいるんだなと、自分の中で腑に落ちましたね。

―― よく、「古典とは、生き残りつづけた文化」と言われます。やはりそうした人類共通の文化には今も人の心に訴える何かがあるんですね。

賀来 そうですね。ですので、クラシックな美術を鑑賞することもとても好きですね。

―― ここからは『地獄楽』という作品が生まれるまでを伺ってまいります。設定から構想されたとのことですが、先生はどの作品でも設定から決めて行かれるのでしょうか?

賀来 むしろ普段は世界観設定から考えることはあまり多くないですね。この作品の場合も、「閉鎖空間に、利害が一致しない2人が組まされ、放り込まれる。それが何組もいる」というところからスタートしました。これが「骨格」です。ごく初期には、「少年院に入れられる子供と、戦う弁護士」という設定もありました。そこから、当時の担当さんと話し合うなかで、その設定を落とし、物語の骨格の部分は残して別のキャラクターを乗せるという形にしました。骨格を残したのはもともと人間関係の変遷みたいなものがすごく好きなので、それを描いてみたかったからです。

―― そうだったんですね。「骨格」と「設定」は、当初それぞれ別モノだったと。

賀来 神仙郷という設定は、これはこれでどんな物語の世界観設定でも使えそうだな描きやすそうだなと考えていました。そしてキャラクターはまた別でした。まず、単純に「絶対に死なない最強の忍」って格好良いじゃないですか。閉鎖空間サバイバルという骨格に戻して調整していく中で、生きるか死ぬかの環境であれば、「死なないとされているキャラクターが死にそうになる」ほうが面白いなと思ったんです。それを端的に読者に伝えるにはどうすればいいかと考え、何度死刑になっても決して死なない忍という設定ができ上がりました。

―― 作中で読者に与えた常識が覆るところにカタルシスがある。画眉丸をこの物語の主人公たらしめている要素は、どんなところにあるとお考えですか?

賀来 これは連載初期から想定していたことの一つでもあります。画眉丸だけはなく佐切も含め、2人は2020年代を生きる僕らと同じ価値観を持っているということです。これは作品を江戸時代後期という、僕らからすると遠く離れた時代に設定した理由でもあります。その時代の人々は僕らとは倫理観も人権感覚も違いますよね。罪人と死刑執行人という感情移入がしづらいキャラクターにもかかわらず、僕らと同じ感覚を持っていたとしたら、親近感を覚えますし、同時に江戸時代という設定の中では特異なキャラクターとして浮き彫りになる。その部分が初期の段階では画眉丸と佐切が持っている特殊性だなと思ってました。

―― 妻を愛する画眉丸の人物像は少年マンガ主人公としては珍しいですが、そこからだったんですね。

賀来 そうですね。画眉丸が愛に対して非常に執着を持っていたり、あるいは佐切が自分が女性であることで悩まされているというのも、現代人と同じ感覚です。この作品の罪人たち皆がそうなのですが、そう設定することでキャラクターとして特殊に映るなと考えました。

―― キャラクターデザインについてはどんな考えをお持ちですか?

賀来 デザイン自体は割と好きなタイプの作家だと自覚しています。もちろん、キャラクターをデザインするのは大変なのですが、その試行錯誤自体を含めて好きですね。だから、大変なデザインを経て生まれたキャラクターは思い入れひとしお。それを登場3話ぐらいで退場させるのも好きなのですが(笑)。
デザイン自体は苦ではありませんし、そこからキャラクターの内面を発想していくこともします。現実は別ですが、やっぱりマンガにおいては内面と外面はしっかり結びついたものだと思ってるので。そのあたりも先の三浦先生とのお話でさせていただきましたね。主要キャラクターは特にデザイン強度が高くなるようにと意識しています。

―― デザイン強度とは?

賀来 簡単に言うならば、他の作家が描いてもそのキャラクターが本来持っている性質がブレないデザインということです。「マジンガーZ」って、たぶんどの作家が描いても、あの独特の格好良さとちょっと怖い感じが絵に出てくると思うんです。それは、元々の永井豪先生が描かれたデザイン自体に埋め込まれているからだと考えています。僕はそれを意識しながらいつもデザインをしています。

―― また、『地獄楽』の特徴のひとつとして「中道」という考え方を作品の中に取り込んでいることが挙げられます。これはどのように落とし込んで行かれたのでしょうか?

賀来 これは『地獄楽 解体新書』のなかで藤本先生との対談でも少し話したことではありますが、連載マンガのテーマは、自分の身になっていることでなければ必ずメッキが剥がされてしまいます。それくらい、週刊連載は忙しいんです。だから、作品のテーマは予め決めずに、自分自身が持っている思想に対して正直になったほうが良いと思います。なので、最初は何も考えずにバーっと描いていました。僕はバランスを取りたがる人間なので、悪いことが起きても良い面があるのかもとか、その逆を考えたりします。そのあたりと結びついていったのかな。自分にとって正直に描いていったら今の形になったという感じですね。とにかく正直に書く。良い話っぽくなりそうでも、本当に良い話と思えなければ、そちらには行かない。その中で勝手にテーマ性が出てきて「中道」が浮かび上がりました。

―― やはり「作家」ですから、自分の持っているものを正直に出さないと。

賀来 そうですね。週刊連載という場は、小手先で描き続けることは本当に無理だし、バレてしまいます。バレるくらいであれば最初から正直に。その意味で、最初は画眉丸を主人公として物語を描いて、彼の成長に視点を置いていたのですが、描く中でテーマが、途中から中道とか矛盾、葛藤みたいなものに推移していったなと自覚しました。それを背負うのはたぶん佐切だなと思っていて、僕の中で『地獄楽』の後半の主人公は佐切になっています。それは正直に描いていった結果、そうなってしまったということです。

―― キャラクターが勝手に動き出すというお話をマンガ家のかたはよくされますし、ご経験もあるかと思いますが、今のお話はそれを超えて作品を左右するほどの大きな波として経験されたのではないかと。

賀来 そう! 「キャラクターが勝手に動く」。僕も新人の頃は、マンガ家のインタビューを読んでその言葉が出てくると、「そんなわけないじゃん。自分が作ったキャラなんだから!」と思ってたんです(笑)。けど、今思うと本当で、やっぱりそうなっちゃいますね。むしろ、そうなったほうが面白い。

―― 「キャラクターが勝手に動く」とはどんなことなんでしょうか?

賀来 僕の中でそう思える瞬間がいくつかあって、そのうちの一つは僕が想定していない行動を取るとき。そのときに「この人は他人だ!」と思った瞬間、キャラが立ったと感じます。自分が想定した行動だけ取らせていると、やっぱり創作物の枠内から出ないから、ニセモノの存在であり続けるんです。だけど、僕も思ってなかったような行動を取られると、「この人は他人で、生きているんだ」と思える。僕が窺い知ることができない考えを持っているんだなと表現できると、この人は「立った」と思えます。そうすると、もうピタゴラスイッチを作るようなもので、環境だけ整えておいて、その球がどこに転がるかは球によるという感じですかね。

↑「キャラクターが勝手に動く」と思えた中でも特に印象的だったシーンを、賀来先生に挙げていただきました

―― 先ほどから先生はバランスを意識して描くタイプだとおっしゃっていましたが、そんなかたでもキャラクターに任せることがあるんですね。

賀来 だからこそ、なのかもしれないですね。本当に自分だけでカッチリ支配した世界観の中で作ってしまえるから、どこかではみ出してほしいと思っていて、その瞬間に信じることができる。それは自分の中で大切にしたいなと思っている部分ではありますね。

次回予告 後編では担当編集の榊原氏を招いて、『地獄楽』の連載にいたるエピソードや、連載中のお話を中心に伺います。
インタビュアー:日詰明嘉